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ようやくですが、三貴子の話です。 この辺りは更に扱いが難しい感じです。 文字通り読み解いていいものか、という感じがしますので。 割と長くなってしまったので、Moreにしておきます。 さて、日本書紀主文と古事記では、彼ら三柱についての記述は誕生の所で既に食い違っています。 日本書紀主文では、伊邪那岐命と伊邪那美命は相談して、 「吾已に大八洲国及び山川草木を生めり。何ぞ天下の主者生まざらむ」とのたまい、その後、日の神である大日霎貴(おおひるめのむち)を生んだ、とある。 大日霎貴は、天照大神(あまてらすおほみかみ)あるいは、天照大日霎尊(あまてらすおおひるめのみこと)でもあると書いてある。古事記における天照大御神の事ですね。 で、こんな風に言っている。 「吾が息多ありと雖も、未だ若此霊に異しき児有らず。久しく此の国に留めまつるべからず。自づから当に早に天に送りて、授くるに天上の事を以てすべし」自分達には子供は一杯いるんだが、このようにあやしい(神秘的なのか、不可解なのか)子供はいなかった。長々と地上に止めるべきではないので、すぐに天におくり、天上で仕事をさせるべきだろう。 大体こんな所でしょうか、意訳は。なんか褒めまくりですね。 しかも、どうも自分達(伊邪那岐命と伊邪那美命)よりも「性能」(資質)がいいんじゃないか、って思ってる節もある。 続けて「月の神」を生んでいるが、これも「其の光彩しきこと、日に亜げり」とある。 所謂、月読命の事ですね。 こちらも「日の神」ほどじゃないが、これも中々であると。よって、やはり天上に送ったとある。 ここで俺が面白いと思うのは、どうもこれは「生む気で生んでいる」という事です。 言うまでもない事ですが、人間の子の場合は「出来が良い子を産みたい」と思って産める訳ではありません。 この二柱は意識してそうする事がどうやら出来るらしい。流石、神。やる事というか、やれる事が違う。 ですが、この後すぐに、 「次に蛭子を生む。已に三歳になるまで脚猶立たず。故、天磐橡樟船に載せて、風の順に放ち棄つ。」とある。三年たっても足腰が立たない。不出来であったから捨てた、という事であるらしい。あっさりしたものです。 もっとも現代人の感覚とはまた違うのかもしれませんが、それにしても・・・、という気もする。そんなに生活が苦しかったのであろうか、この二柱は。 あるいは、前回書いた通り、「生む」といっても、「生み出した」=「創り出した」のであるかもしれない。三貴子等についても。 蛭子の後に生まれているのが、素戔鳴尊です。「問題児」として知られていますが、確かにどう見てもそう読むしかない記述が続いている。 此の神、勇悍くして安忍なること有り。且常に哭き泣つるを以て行とす。故、国内の人民をして、多に以て夭折なしむ。復使、青山を枯に変す。つよくて勇敢かもしれないが、残忍でもあり、そして常に泣き叫んでばかりいた。国の民はこの事が原因で死ぬものも多かったし、青々とした山々も枯れ果ててしまった。 うーむ・・・、という感じですね。どこかからネット上に広まった言葉がチラホラと頭に思い浮かびますが、とりあえずここでは「初代不良がここに誕生した」という事にしておきます。 でも、面白いね。ここでさりげなく「国内の人民」が既に誕生しております。これはどうも「神」ではないらしい。なんせ「素戔鳴尊に泣かれただけで死んでる」訳ですので。 伊邪那岐命と伊邪那美命が生み出した神々が死んだとは出てはいない。これらは「国内の人民」には入らないのでしょう。そうだろうけどね。どういう働きをしているかは不明だが全て「神」らしいので。 この二柱はやはり「中興の祖」だった感じです。 しかし、何故、伊邪那岐命と伊邪那美命の国生みから始まった事に記紀などではしているのか、というのはかなり根の深い問題ではないかな、と思いますが。 で、この素戔鳴尊は早速ですが、「非道だし、天下(宇宙。あめのした)に君臨しちゃいけない。よって、お前は遠く離れた根の国に送りつける事にする」という事で、「根の国」に放逐されます。 「根の国」ってなんなんでしょうか? 「高天原」では無い様ですし、この段階で既にあったようです。どうにも記紀の記述は穴だらけですね。これは日本書紀ですけど。 「根の国」については、岩波版の巻末の補注を読むと、「遠き国とする見方と下方の底の国また母の国、大地とする見方がある。」とある。 という事で、中途半端ではありますが、ここで一度切ります。長くなりましたし。 次は古事記での三貴子の扱いについてです。 やはり彼らについては難しいね。記紀の記述が「どうにも苦しい」ので。 なんか奥歯に物が挟まっているようなそういう感じの内容です。日本書紀にある異説も含めて。 次々と生まれた神々についての言及を避けている事自体もそうなんですけど、この辺りは特に酷い気がします。
by water_dragon_ver3
| 2005-10-20 01:03
| 日本神話
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