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まぁ、手が止まりますね、この辺り。 記述が増えてしまうのがわかるからだな。纏まりが付き辛いですから。 ともあれ、ようやくですが、国生みです。記紀を比較しつつの紹介になります。 古事記では、大体以下のような順です。 水蛭子(ひるこ)→淡島→回りなおし→大八島國等の国生み→神々へ→最後は火の神。伊邪那岐命より三貴子。 日本書紀で主文は、以下のように順になっている。 淡路島(あわじのしま)→大八洲国等の国生み→海川山草木→大日霎貴(おおひるめのむち)・月神・蛭児・素盞烏尊。 日本書紀には特にこれといった記述の無い異説も含まれておりますし、殆ど古事記と同じような内容のもありますが、どちらも大体において最初の子にについては冷淡です。 補注を見ると「第一子は生みそこないとする当時の伝承があった」とある。 水蛭子はともかく(多分、後で触れますが)淡路島は、日本列島の真ん中辺りにあるにも関わらず結構粗末な扱いです。 これはどういうことなのか。「生みそこない」としてもそれは何故なんでしょう? 改めてよく見直してみると、国を作ってから神々を生んでいる。で、三貴子と呼ばれる日本の新しい主神とも言えるのは最後に回してますね。これはどちらもそうなっている。この辺りにヒントがありそうです。 「生み出した」と人がいう時、文字通り「産んだ」場合もありますが「作り上げた」という場合もある。 国や海川山草木については、「産んだ」のではなく、「作り上げた」という事であれば、淡路島の扱いも理解は容易です。 要するに「試作品」だったのではないでしょうか、淡路島は。 伊邪那岐命と伊邪那美命は初代(?)ゼネコンであった。夫婦で協力でして、造成したか、纏め上げたかをやった。出来あがったのが、大八洲国等の国土。 国造りには正しく心血を注ぎ込むようなものであって、文字通り「生み出した」ようなものであった。 それならば「生んだ」と書かれたり、伝わっていったりするかもしれません。 あるいは、それらの「司」(つかさ)となるものを「生んだ」という事であるかもしれませんが。 「生んだ」のか「創造した」のかという問題もありますが。 人体実験とか、遺伝子工学とかいう言葉もちらほらと浮かびますが、それなれば水蛭子(ひるこ)を流したとかそういう話も理解は出来ます。国土の試作品だった淡路島に流したというのも、淡路島が同時に実験場のようなものであったとも考えれば筋は通る。うーん、って気もしますけどね。 また、古事記の中で伊邪那岐命と伊邪那美命が生んだとされる神の中には、鳥之岩楠船神(とりのいはくすぶねのかみ)というのもある。またの名を天鳥船(あまのとりふね)というそうですが、これはちょっとどう見ても子供とか神とかいうよりも、「発明なんでなかろうか?」と普通に思う訳です。 本当にこれだけの事を彼ら二柱でやったのか。そこにも疑問が残ります。精力的に活動したのは疑っておりませんが、全てをやったというのは少し難しい。 彼ら二柱が主導してやった計画の中でこれだけの事を為した。あるいは軌道に乗せた、完成させた、そういう事ではないのか、と思いますね。 あるいは色々な業績を纏めて、彼ら代表的な二柱の働きに収斂させたものが伝承として残った。そういう風にも考えられます。説明が無く、ただ「生みき」とだけある所等からはそういう感じも受けます。 生み出した神々のその後の働きについては、殆ど説明がない所を見ても、彼らの多くが「人格神」であったのかどうかは疑問が残る所です。 という事で、ここで一旦きります。 次には焦点となる話である三貴子の話にやっと入れそうです。 水蛭子(ひるこ)についても、ですけど。 2005/10/18 00:36 補足: 「発明したのでは?」と書きましたが、神々のやるような「発明」(?)は人間がやるような「発明」とはかなり質的には異なるだろうと考えております。 海山川草木を生んだとありますが、人間は生命を作り出す事には成功しておりませんし、継続的に種の維持、発展が出来るような遺伝子操作も自覚的にはやる事は出来ていません。 伊邪那岐命と伊邪那美命なり、他の神々なりが行ったそういう「創造」については、「生みき」と表記するしかなかったようなものであったかもしれない、という事を付け加えておきます。
by water_dragon_ver3
| 2005-10-17 17:37
| 日本神話
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