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随分久し振りですよ。 忘れていた訳ではないのですが、何故かこの辺り止まるのですね。 時事関係も何やら多過ぎて対処不可って感じですし。 という事で、止まってました。 さて、伊邪那岐に追放された速須佐之男命。その後どうしたのか。 「然らば天照大御神に請して罷らむ。」 そうか、じゃ、姉貴に事情を説明してくる。 文句も何も言わずに、いきなりこういう返事ですか、この人は。 単純に「政」(まつりごと)をするのがイヤだっただけではないのか。そもそも仕事をするのがイヤで泣いていた可能性もあるな、これでは。「妣の國」にも行きたかったのかもしれないが。 で、喜んで(?)なのかわかりませんが、ドタバタしながら天上の高天原に向かった訳です。 すなわち天に参上る時、山川悉に動み、國土皆震りき。 地震が起きたという訳ですね。本当に地震だったのか、という気もしますが。国が引っ繰り返るような騒動になった、というのが実情ではないかと。 で、驚いた天照大御神は、 「我が那勢の命の上り来る由は、必ず善き心ならじ。我が國を奪はむと欲ふにこそあれ。」 弟がやってくるからには、ロクでもない事を考えているに違いない。どうせ我が国を奪おうという欲があるのだろう。いきなりこういう発想ですか。 で、早速行動を起こしている。 すなはち御髪を解きて、御角髪に纏きて、すなはち左右の御角髪にも、また御鬘にも、また左右の御手にも、各八尺の勾玉の五百筒の御統の珠を纏き持ちて、背には千入の靫を負ひ、ひらには五百入の靫を附け、また稜威の高鞆を取り佩ばして、弓腹振り立てて、堅庭は向股に蹈みなづみ、沫雪如す蹶散かして、稜威の男建蹈み建びて待ち問ひたまひしく、「何故上り来つる。」と、とひたまひき。 長い。しかも、妙に時間がかかった。何故そのまま抜き出したのかといえば、この「勇ましい」感じが自分流には中々表現出来なかったので、そうしてみた訳です。 逞しさは感じますが、あまり美しくない光景です。男装して、武装するのはともかくとして、固い地面を踏み抜いて泥を蹴散らしながら突っ走ってきた、と、ある。神功皇后とか連想しますよ。ああいう感じの人であるのでしょうか、天照大御神は。 猛然と突っ走ってきた姉(天照大御神)に弟(速須佐之男命)は今までの顛末を説明します。 自分が泣いていた理由を尋ねられて、父(伊邪那岐命)に「妣の國」に行きたいが行けないので泣いていると答えたら、「この国に住むな」と言われたので出て行く事になった。その顛末を説明しようと思ってきたのであって、二心ある訳ではありません。 立派な答弁というしかありませんが。泣き喚いていた割には。 しかし、疑い深い天照大御神。納得してません。 「然らば汝の心の清く明きは何して知らむ。」 どうやってそれがわかるのか。 国を預かるような責任者としては当然であり、姉としてはややしつこいめに重ねて聞いた訳ですね。 それに答えて、速須佐之男命は、 「各誓ひて子生まむ。」 と、答えた訳です。有名な「うけひ」のシーンです。 各々が「天の安の川」(あめのやすのかは)を挟んで立ち、まずは天照大御神が速須佐之男命の持つ十拳剣を三つに叩き割り、身につけた玉を鳴らしながら、天の真名井(あめのまなゐ)で洗い清めて、噛みに噛んで・・・、(叩き割った剣を噛んだと解釈するしかありませんが)、吹き出した息吹から三柱の女神が生まれます。 多紀理毘賣命(たきりびめのみこと)、亦の名を奥津嶋比賣命(おきつしまひめのみこと)。 市寸嶋比賣命(いちきしまひめのみこと)、亦の名を狭依毘賣命(さよりびめのみこと)。 多岐都比賣命(たきつひめのみこと)、亦の名を田寸津比賣命(たきつひめのみこと)。 次に速須佐之男命が、八尺の勾玉の五百筒の御統の珠を請い受けて、身につけた玉を鳴らしながら、天の真名井(あめのまなゐ)で洗い清めて、噛みに噛んで・・・、(これも珠を噛んだと解釈するしかない)、そして吹き出した息吹から五柱の男神が生まれます。 正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかつあかつかちはやびあめのおしほみみのみこと) 天之菩卑能命(あめのほひのみこと) 天津日子根命(あまつひこねのみこと) 活津日子根命(いくつひこねのみこと) 熊野久須毘命(くまのくすびのみこと) そして天照大御神の方が速須佐之男命にこう告げるのです。 「この後に生れし五柱の男子は物實我が物によりて成れり。故、自ら吾が子ぞ。先に生れし三柱の女子は、物實汝が物によりて成れり。故、すなわちち汝が子ぞ。」 つまり、五柱の男神は自分の身につけていたものによって生まれたのであるから我が子であると、その前に生まれた三柱の女神は速須佐之男命の身につけていたものによって生まれたのであるから速須佐之男命の子である。こう告げてそれぞれわけたとあります。 さて、多紀理毘賣命・市寸嶋比賣命・多岐都比賣命、彼女達は現在の宗像大社の祭神です。 どちらかといえば海神に属するのですね。 まあ海原を治めよと言われたので、こういうのが出てきたのかもしれない。 正勝吾勝勝速日天忍穂耳命・天之菩卑能命・天津日子根命・活津日子根命・熊野久須毘命、こちらは、太陽や火、稲穂に関係がある名前が多いです。 また天孫降臨に際して名前が出てくるのがニ柱いる。 この女神三柱と男神五柱の都合併せて八柱の神は、本当にこの時に生まれたのでしょうか。 三貴子も古事記に因れば、伊邪那美との離別の記念みたいな形で生まれています。 しかし、日本書記主文では違う。どうやら皆伊邪那美から生まれたらしい。 これはこれらの神々が属するか、あるいは属する事に編纂者なりがしたのかで違ってきたのではないか、と思うのですね。 ただ、彼らは人格を持った神であった事は間違い無い様に思えます。全てがそうであるかはわかりませんが、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命・天之菩卑能命、このニ柱については天孫降臨の時に活動している記載がある。 しかし、かなり不思議な生まれ方です。 また改めてどの神がどちらの子かを特定しなおしている。 つまり、本来はどちらとも言えないのでしょう。 女性神の天照大御神からは三柱の女神が、男性神の速須佐之男命からは五柱の男神が生まれている。 俺はこれはもしこの「うけひ」によって生まれたのであれば、女神三柱の方は天照大御神から、男神五柱の方は速須佐之男命から生まれたのではないかと思います。 分身というか分霊に近いのではないのか。 事実、熊野久須毘命は名前の通り熊野神社の祭神の一柱でもありますが、熊野神社と呼ばれる神社の主祭神は速須佐之男命がまず筆頭に来るのです。 それぞれの分霊を互いに養子とした。もしくはそれぞれの氏族の中から養子を選んで交換した。 勿論ただそうした訳ではなく、恐らくは「うけひ」のような儀式もあったのでしょうが。 この時に改めて名前をそれぞれが付けられたのではないのか。そういう気がします。 幼名をつけるという文化はかなり古いものだそうですし。 また、もしもそうであれば天孫降臨の時に降ろした神が・・・。 となると何か妙ですね。 ともあれ、この八柱の神の素性とその背景は「うけひによって生まれた」とさらりと書いてありますが、色々と複雑な気もします。 疑問は疑問のままにほうっておくのがよいでしょう。 この疑問を覚えておく事にして、一時の区切りとします。
by water_dragon_ver3
| 2006-01-22 19:49
| 日本神話
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