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さて、少し間が開いてしまいました。 前回の続きで、伊邪那岐より生まれた三貴子達についての話が続きます。 三貴子それぞれにそれぞれの「國を知らせ」と伊邪那岐が事依した後、どうなったのかに入ります。 古事記に従って話を続けますが、似たような話は異説の一つとして日本書紀にも書かれています。 故、各依さしきたまひし命の随に、知らしめす中に、速須佐之男命、命させし國を治らさずて、八拳須心の前に至るまで、啼きいさちき。他の二人が素直に国の統治をやっていたのだが、速須佐之男一人は命じられた国を治める事もせず、八拳須心(やつかひげむね)の先に至るまで(涙が伝うほど?)、激しく涙を流して泣いていた。 という事らしいです。 八拳須心(やつかひげむね)は「幾握りもある長い顎鬚」と校注にある。 どうでもいいのですが、生まれてすぐにもう顎鬚があったのですか、この人は。「大人の状態で生まれた」という事なのかもしれませんが。 で、ただ泣いているというだけでは済まず、山は枯れ山に、海や河は枯れ果ててしまい、悪鬼が跳梁跋扈した、という文が続いている。神様というのはあまり泣いたり喚いたりしてはいけないものらしい。 父親の伊邪那岐も速須佐之男に聞いてみた。 「何由かも汝は事依させし國を治らさずて、哭きいさちる。」なんでお前は仕事もせずに、激しく泣いているだけなのか。世の普通の父親らしい言葉です。 「僕は妣の國根の堅州國に罷らむと欲ふ。故、哭くなり。」お母さんの国に行きたいです。(でも駄目らしいので)泣いているのです。 顎鬚が長いおじさんが泣き顔で訴えていたら怖い光景ですが、八拳須心はただの比喩でしょうね。あるいはこれを編纂した人物には「幼い三貴子というのがピンと来なかった」のかもしれない。 しかし、伊邪那岐、ここで激怒。 「然らば汝はこの國に住むべからず。」出てけ。という事です。 当時の速須佐之男がどのくらいの年齢であったかは知りませんが、大人気(おとなげ)無い話です。 勿論、伊邪那岐が。 ただ、面白いですね。 速須佐之男は「本当ならば行けるらしい」という事をどうやら知っているようです。 また、「妣の國」とも言っている。日本神話について 13でも触れましたが。 「右目や左目から生まれた」というのは比喩でしょうね。あるいはホツマツタヱの天の巻 4にあるように、 二人はこの後、ハラミ山頂の子代池(このしろいけ)の池水で左眼を洗い日霊に祈り、右眼を洗って月霊に祈り、イサナギはシコリドメ(石凝姥)が鋳造して君に捧げた真澄鏡(ますみのかがみ)を二枚取り出すと、それぞれ日と月にたとえ両手に捧げ持って神の出現を乞い願いました。というような話であったのかもしれない。 いずれにしても、三貴子達も伊邪那美が生んだ子なのではないかと俺は思います。 黄泉の国が死後の国とは別に存在し、火之迦具土の件では死んだのではなく、重い火傷か何かが原因で療養の為に実家に帰った伊邪那美を迎えに行ったら、いざこざがあって口喧嘩になった。売り言葉に買い言葉でどぎつい言葉も飛び出した。主権者みたいな人達の喧嘩ですから、ここで国交断絶。引き取った筈の子供がそれなりに成長したと思って仕事を与えてみたら、末っ子が仕事もしないで泣いてばかり。治安も仕事の内らしく、ちゃんと治めないので、土地はあれるは悪党はうろつくはで荒れ放題になった。「何故?」と聞いたら、「ママに会いたいです。」と返事。執念深く怒っていたパパ激怒。 大体、こういう事であった感じがしますが。 問題は伊邪那美から生まれた事を何故無かった事にしなければならなかったのかという事になるでしょうけど。 「母は死んだものだと思え」という伊邪那岐の意志であったのかもしれませんが、それにしては二柱が一緒に祭神になっている神社も多いのですよね。物凄い喧嘩別れだというのに理解出来ない話です。 本当は後で仲直りしたのじゃないでしょうか。おそらくは。 というのも、 故、その伊邪那岐大神は、淡海の多賀に坐すなり。この段の末尾にあるのですが、その当の多賀神社ではどうなっているかと言いますと、 壽命の神、鎮魂・厄除の神として有名な多賀神社は、伊邪那大神(男神)伊邪那美大神(女神)の二柱の神をお祀りしております。と、あります。 やっぱり仲直りしてるのでしょう。おそらくは。 こういう神社というのは、理由もなく勝手にお祀りするという事は無いので。 ただ、その顛末は何故だか記紀では触れられてはおりませんが。
by water_dragon_ver3
| 2005-11-11 01:40
| 日本神話
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