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古事記の方に触れておくのを忘れていた。 と、いう事で、古事記における「共為夫婦」について日本書紀の主文等と比較しつつ書いていきます。 長々と引用するのも面倒なので、かいつまんでの説明。超訳になっているのはご容赦を。 淤能碁呂島に降り降った伊邪那岐命と伊邪那美命。伊邪那岐命が伊邪那美命に聞いてみた。つたないものですが、大意としてはこんなものです。 日本書紀の主文とは幾つかのエピソードの順番が違います。「一書に曰はく」では古事記説に近いものもありますが。 双方の身体について言及してるのが最初に来ている場合は、「天津神」に相談しに戻っている。 まず「呼び合い」から始まる場合は、二柱が考えて、という形になっているようです。 古事記と日本書紀の「一書に曰はく」の出所は同じと考えても良さそうです。古事記自体が「一書」であるか、古事記の元ネタ、あるいは派生物が「一書」なのでしょう。 古事記ではどうやら伊邪那岐命と伊邪那美命は実行部隊でしかありません。 指示を出しているのはあくまでも天上の天津神(達)です。 対して、日本書紀の主文では伊邪那岐命と伊邪那美命は行動主体としての判断をして動いているように書かれてあります。 回り直す時も「これは間違い」と伊邪那岐命は自ら気がつき、やりなおしている。 古事記説では間違いに気がつきつつも、それを踏み倒して失敗した、とある。 では、どちらが妥当であるのか? これについては比較の問題ですが、やはり日本書紀主文の方に軍配が上げざるをえません。 二柱は「共為夫婦」をする時にはどうするべきかを、淤能碁呂島に降り降った時には既に知っている訳です。「遘合」(みとのまぐわひ)については詳細は知らなかったのではないのか、とは思いますし、異説でも多くがそのように書かれています。 しかも、「国中の柱」を回る事についてはどちらも「そうするもの」というのは知っている。 恐らく彼らはそれを見ていたのでしょう。彼らに先立つ夫婦神は既にいたのですから。記紀ではどちらもそう書かれています。 また、どちらについても余人が立ち会ったような雰囲気では書かれてはいない。そういう状況で、「あ、これは手違いがあった」と自分達で気がついていれば、普通どうするでしょうか? 記紀どちらについても、この儀式はやりなおしても大丈夫という事では一致しています。 また古事記では「この漂だへる國を修め理り固め成せ。」と天津神達から指示を受けた上で降りて来ている事になっている。 であればこそ、ますます不可解です。 命令を受けての行動であれば、ちゃんとやらなければならない筈ではないのか。 では、なぜ古事記での二柱は踏み倒したのでしょうか? というよりも、何故踏み倒した事にしたのでしょうか、古事記を書いた人は。 この疑問を解く糸口は恐らくは「三貴子」の扱いにあるのではないか、と思います。 次は、国生みと「三貴子」についてでしょう。ようやく。 しかし、この辺りで既にややこしい話になってるので、書くのが難しいです。 キーボードを打つ手が自然と止まり勝ちになる。 「日本神話」という事で書いているつもりなのですが、どうしても古事記の不可解さがピックアップされてしまう。 ネットで検索しても、やはりこの問題について書いている人もいます。 あからさまにおかしいのだが、疑ってはいけない事になっているのがどうやら古事記らしい。 ただ、「テキスト」としてはこれで完成していますのでね、古事記は。 そういう意味では歴史的文献であり、当然ですが「偽書」ではありません。
by water_dragon_ver3
| 2005-10-14 01:22
| 日本神話
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